【本 BOOK】『原爆の世紀を生きて爆心地からの出発』米澤鐡志著 アジェンダ・プロジェクト刊単行本222㌻ 1512円

評者 重信房子

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この本は、1945年8月6日朝、広島市内の爆心地近くの電車の中で母と共に原子爆弾を浴びた10歳の少年が恐ろしい破滅と人間の生き死を見せつけられながら被爆の死の淵を彷徨い、9月1日に母を失い、母乳を飲んだ一歳の妹を10月に失いながら奇跡的に助かり、それからどんな人生を歩んだきたのか伝える記録です。

 この「運命の子」米澤鐡志の生涯を貫く思想「核と人類は共存出来ない」が、どのように生まれてきたかを語り尽くしています。

 この運命の契機は過酷・残虐であったけれど、それに立ち向かい自らの生き方として反戦平和の先頭に立って以来、83歳の今も闘い続けている米澤鐡志さんの感動的な人生の生き方が綴られています。

 遠くない日本が、どんな時代だったのか、ぜひ若い人に読んでほしいと思います。難しい歴史もわかりやすく読むことができます。

若い人に読んでほしい

 目次を紹介すると、第1章で、「戦争中の生活と原子爆弾」として、当時の戦時下の生活、学童疎開、軍医として出征した父の不在の中で、母と兄弟たちと疎開した村に移り住んだ姿が記されています。

 母と2人、村から市内の実家へ物資を得るために行く途中の8月6日朝の原爆、黒い雨、死線を越え僥倖のように村にたどりつきながら母と妹を失いつつ鐡志少年は生き延びます。学童疎開から排除された在日朝鮮人が日本人の比率より多く、この原爆で殺された朝鮮人の学友らを失ったことも、告発しています。

 8月7日生まれの少年は、原爆の洗礼の翌日11歳を迎えます。

 第2章では「戦後の広島の街で」として、復員した父は戦前からの無産者診療所を作ってきた人であり、すぐ共産党に入党して医療活動を始め広島市議会議員としても活躍するのですが、再建共産党と共に少年が育っていく姿が活写されています。内藤知周や山代巴らに可愛がられながら、好奇心と情熱で平和のために走りまわる中学生の姿です。

 第3章では「峠三吉をめぐって」として、米澤少年の交流した詩人が、少年を詩に描いたこと、また、占領軍と日本政府の禁止令の下で朝鮮戦争反対の闘いが行われたのですが、峠三吉の詩「1950年8月6日」には反戦反核の闘いが、いかに闘われたのかを伝えています。

 第4章「京都に移住―学生運動に没頭」では、1961年に日本共産党に除名されるなど、私も知らない世代の当時の学生運動を知ることができます。

 第5章「医療の現場で」では、南病院や高尾病院での闘いの経験と人々、蜷川「民主」府政への批判も厳しく記されています。

 第6章「父・米澤進のこと」。代々木の医者の息子で、大学時代から共産党の闘いに共鳴し、戦後は医師として、宮本顕冶を支持し、路線に忠実で、1958年から市議を長く努め、100歳で大往生されますが、61年に息子が党を除名されると「反党分子の息子」に厳しく対応する父親です。でも、晩年は大好きな酒で父と子が共に語り合っている姿が浮かびます。

 第7章「平和を求めて」第8章「3・11以降―『老後』を反戦にかける」では、良く知られる米澤さんの政治的立場や変わらぬ「核と人類は共存出来ない」の思想と実践を語るもので、私も学びつつ支持している姿です。

 逆境を武器に変え、好奇心と楽天性の中で生きる姿は、私自身そのように生きようとしてきた分、とても心に響く本です。

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